Quantcast
Channel: 歴史&環境&公徳心ツアー&地方創成&観光産業振興
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1050

横浜みなとみらい21

$
0
0


横浜みなとみらい21(よこはまみなとみらい21、Minato Mirai 21)は神奈川県横浜市西区中区にまたがり[注 1]横浜港に面している地域である。略称は、「みなとみらい21」、「みなとみらい」、「MM21」など。都市景観100選受賞地区。さらに細かい区分として、ランドマークタワー日産本社ビルなどがありオフィスビル開発を推進する「中央地区」と赤レンガ倉庫コスモワールド[注 2]などがある「新港地区」、そごうスカイビルがある68街区の「横浜駅東口地区」(出島地区)に分けられる[1]。当地区全体の面積は約1.86km²(約186ha)、そのうち埋め立て部は約0.76km²(約76ha)である。
みなとみらい中央地区の広範囲における町名、住所表記としてもみなとみらいが使用されている。また、2009年4月に設立された一般社団法人横浜みなとみらい21は、同地域における土地や建物の所有者、施設の管理・運営者などによって構成され、街づくりの企画・調整、プロモーション活動などを行っている[2]。前身は横浜市、神奈川県、独立行政法人都市再生機構(旧:都市基盤整備公団)、地権者、地元経済界の出資により作られた第三セクター株式会社横浜みなとみらい21(同年3月解散)である。

当地区全域は、横浜市における都心(ツインコア)の一つである横浜都心に指定されている[3]。また、みなとみらい中央地区は横浜都心・臨海地域として、都市再生特別措置法による特定都市再生緊急整備地域に指定されている[4]


概要

 みなとみらい地区は、横浜都心部の一体化と強化をめざしたウォーターフロント都市再開発として建設されている街である。1980年代に再開発が行われる以前は、当地に三菱重工業横浜造船所国鉄高島線貨物支線)の東横浜駅および高島駅・高島ヤード(操車場)高島埠頭新港埠頭などがあった[5][6][7]
飛鳥田一雄横浜市長が1963年に当選し、横浜の五重苦と呼ばれていた関東大震災昭和恐慌太平洋戦争による空襲、米軍による占領と市内都心部の接収、および人口急増によるスプロール現象を克服することが、地域としての大きな課題となっていた。そのため1965年横浜市六大事業が提案され、都心部強化として三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線の東横浜駅(貨物駅)・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭の一帯を再整備し横浜駅周辺と関内伊勢佐木町という二つに分断された横浜都心部を一体化させる「都心部強化事業」として、就業人口19万人・居住人口1万人を目標とした事業計画が打ち出された。

 これは横浜市において、二つに分断された都心を一体化させ都市機能を充実し、昼間人口や就業人口を増やすことで市内経済の活性化を目指し、地域社会の成長をめざした施策である。また東京都心一極集中から首都圏での展都という趨勢の中で、東京都心の負荷を軽減し、神奈川県の経済拠点として首都圏経済を牽引する役割を分担し、企業法人本社機能や事業所等の立地促進、企業法人の集積の波及として起こる中小企業の活性化や、新規起業者の増加などを目指している。以降、オイルショックを始めとする経済情勢の影響などにより計画が暫く進行していなかったが、1979年細郷道一横浜市長のもとで「横浜市都心臨海部総合整備計画」基本構想が発表され、三菱重工業横浜造船所等の移転完了と共に1983年に「みなとみらい21」事業としてようやく着工に至った。

 当地区の中核には、高さ296mの当時日本一高いビルの横浜ランドマークタワーがある。ランドマークタワー横の「ドックヤードガーデン」は、造船所で実際にドックとして使われていたもので、1997年(平成9年)12月に国の重要文化財に指定されている。1911年1913年にそれぞれ竣工した新港地区の横浜赤レンガ倉庫(1号館・2号館)は5年以上かけて修復工事および周辺の整備が行われ、2002年に赤レンガパークとしてオープン、現在では横浜を代表する観光スポットとなっている。また、2004年にはみなとみらい線が開通し、当地区でも新高島駅みなとみらい駅が開業した。2010年横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)にてアジア太平洋経済協力首脳会議(APEC)が開催。


 当地区の整備は、あらかじめ決められた基本的方針によって計画的に行われており、「21世紀にふさわしい未来型都市」を目指して開発が進められている。電線電話線光ファイバー)は共同溝により、上下水道などと一緒に埋設され、さらに共同溝によるごみ集積(廃棄物管路収集、2017年度末までに廃止予定)[注 3][8][9]地域冷暖房みなとみらい21熱供給が運営)を導入しており、省エネにも配慮している。また、災害・非常時の対策として臨港パーク高島中央公園ヨーヨー広場カップヌードルミュージアムパーク(新港パーク)の地下に災害用地下給水タンク(4基合わせて約4,500[注 4]、50万人分の飲料水3日分を貯水)が設置されている[10]。全ての幹線道路の歩道には街路樹が植えられ(後述)、建設される建物は白を基調(新港地区は茶色系統)とし統一感を持たせている。

 当地区の道路は、「みなとみらい大通り」・「国際大通り」の2本の大通り(主要幹線道路)[注 5]と、それらを結ぶ、さくら通り・けやき通り・いちょう通り・すずかけ通り・とちのき通り[注 6](幹線道路)で構成されている[10]。これらの通りにはそれぞれ四季を代表する種類の異なった街路樹が植えられており、みなとみらい大通りがクスノキ、さくら通りがソメイヨシノ、けやき通りがケヤキ、いちょう通りがイチョウ、すずかけ通りがプラタナス、とちのき通りがベニバナトチノキとなっている(みなとみらい大通りを除き、通りの呼び名は街路樹の種類に因む)[12]。また道路とは別に歩行者専用通路として、クイーン軸・グランモール軸・キング軸(整備中)という三つの軸が整備されている(詳細は後述)。一方、横浜港を周回する「臨港幹線道路」の一部として、山内埠頭コットンハーバー)方面へ至る連絡橋(みなとみらい橋、コットン大橋)が予定より大幅に遅れ2008年12月に開通しており、さらに同道路の国際大通り地下部分にあたる整備計画では、みなとみらい橋手前から横浜ワールドポーターズ付近まで長さ約1.3kmのトンネルが1986年度より着工され、1999年度には既に竣工していたものの交通量が見込めず維持管理費の問題等で長らく供用が延期されていたが、2013年3月に「みなとみらいトンネル」としてようやく開通に至った[13][14]。この他に今後整備予定の道路として、みなとみらい大通り(栄本町線)の橋で帷子川下流・港湾上に架かるみなとみらい大橋とそごうやスカイビルが建設されている68街区の横浜駅東口地区(出島地区)を結ぶ「栄本町線支線1号」がある。

当初は2000年頃までに街全体の完成を目指していたが、経済状態(バブル崩壊)の影響などにより計画が延長されている[17]2000年代より中田宏横浜市長や松沢成文神奈川県知事の積極的な企業誘致とともに、横浜市では企業立地促進条例が制定され、神奈川県もインベスト神奈川を策定し、市税の減額や助成金など企業の負担を軽減する措置により優良な企業立地環境の整備を行っている。2000年代半ばには日産自動車グローバル本社等、多くの企業法人の立地が進んだ。2008年末の世界的な景気後退の影響を受けいくつかのオフィスビル建設計画では中止・延期等もあったが、後任の林文子横浜市長は引き続き企業誘致に向けたトップセールスを行い、上場企業の本社機能立地が着実に進んでいる。

 当地区は現在も事業中であり2014年3月末時点の事業進捗率は約84%、暫定利用施設を除く本格利用地区の割合は約65%となっている。近年では、これまで一定期間で打ち切っていた開発事業者の公募を継続して行うようにしたり、横浜市の指定地域における環境アセスメントの緩和(条例改正)などにより開発条件の柔軟性と共に、経済状況に左右されがちだった当地区の開発にスピード性を持たせている。2013年12月時点の就業人口は約93,000人(前年比約4,000人増)と増加傾向にある。さらに首都圏における観光地、行楽地としての人気が高く、同年の来街者数は約7,200万人(前年比約500万人増)と増加を続けている。



施設

主な施設

商業施設・劇場・テーマパーク

オフィス[編集]

日産自動車グローバル本社

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1050

Trending Articles