皇族の水俣訪問、幻の請願書 長男、両陛下と27日懇談
2013年10月26日16時50分
【田中久稔】23年前、水俣病患者の補償実現のために奔走し、天皇陛下への「請願」を考えていた人物がいた。墨書の請願書が日の目を見ることはなかった。その息子を含む水俣病の患者・家族が27日、熊本県水俣市を初めて訪れる天皇、皇后両陛下と懇談する。請願書の行方は分からないが、その写しが残されている。
写しは、川本氏のブレーンだった元労働団体役員の志垣襄介さん(68)が保管していた。
両陛下:入所者ねぎらう 熊本のハンセン病療養所訪問
毎日新聞 2013年10月26日 18時42分(最終更新 10月26日 21時00分)
天皇、皇后両陛下は26日、第33回全国豊かな海づくり大会に出席のため、熊本県入りした。蒲島郁夫知事から県勢概要を聞いた後、合志市の国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(けいふうえん)を視察した。
両陛下は同園で亡くなった人たちの遺骨が納められている納骨堂に白菊の花束をささげた後、入所者らと懇談した。天皇陛下は60年以上、同園で生活しているという中島チヅ子さん(88)に「いろいろご苦労もおありでしたでしょうね」と声をかけ、韓国・釜山出身という金山連子さんに「対馬からは(釜山の)灯が見えるのでしょうね」とねぎらった。
皇后さまは同い年という79歳の稲葉正彦さんに「何月生まれですか」と尋ね、稲葉さんが「5月です」と答えると「(私は)10月ですから少し上ですね。(来年に)傘寿を元気でお迎えくださいね」と笑顔で話した。
両陛下は27日に水俣市を初めて訪れ、水俣病患者らと懇談する。蒲島知事は記者会見で「両陛下は国民のさまざまな苦難に寄り添ってこられた。今回、菊池恵楓園と水俣の地をご訪問されるのは、そのような気持ちの表れではないか」と話した。
水俣条約採択:元チッソ労組委員長 「脱水銀 出発点に」
毎日新聞 2013年10月10日 12時47分(最終更新 10月10日 13時10分)
10日採択された「水俣条約」に期待を込めるのは被害者ら関係者だけにとどまらない。熊本県水俣市の原因企業チッソの元社員、山下善寛さん(73)は「毒」を海に流した側の一人として責任追及と被害者救済活動を続けている。外交会議会場では周辺に残る水銀汚染箇所に関する調査結果をパネル展示し、水俣病が終わっていないことを明らかにしている。「これを出発点に、世界が水銀排出をすべてやめるまで、その危険性を訴えたい」と話す。
「将来性がある」と入社した1956年、水俣病が公式確認された。もちろん原因企業と知るよしもない。配属された研究室での仕事は、ネコの脳などに含まれる水銀値の分析。持ち込まれたネコは水銀が投与されていたが、そのことは聞かされず、「死因は水銀」とみられる実験結果が公表されることもなかった。
61年暮れごろ、同僚に、ある結晶を見せられた。「チッソの工場排水から抽出した有機水銀だ」。説明に衝撃を受けた。水俣病の原因物質を巡っては「有機水銀説」も浮上していた。が、チッソは自社の責任を認めていなかった。
「原因はチッソだった……」。その事実が重くのしかかる。しかし外部に漏らすと解雇される。口をつぐむしかなかった。日々襲われる罪悪感。垂れ流しは国が「原因はチッソの排水に含まれる有機水銀」と認める68年まで続いた。
「排水を止めていれば被害拡大を防げたかもしれない。市民がどれだけ苦しんだか。でも勇気を持って言うことはできなかった」。同年、結成された患者支援組織「水俣病市民会議」に偽名で参加。一方で、組合活動にのめり込んだ。会社側からは配置転換や自宅待機などの差別、嫌がらせが続いたが、屈することなく患者支援に打ち込み、組合委員長を引き受けた。
1990年まで12年間、チッソの第1労働組合委員長として会社側の責任追及や情報開示などに取り組んだ。2000年の定年退職後も患者支援を継続。最近は水俣市周辺工場から排出された廃棄物に含まれる水銀などによる汚染箇所を精力的に調査している。
条約採択に改めて思う。「水俣病は終わっていないし、汚染された自然環境も復元されていない。排水垂れ流しの責任は今後も背負い続けるが、条約採択を基に、より良い仕組みをつくらなければいけない」
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「水俣病未認定患者の遺族が認定を求めた訴訟」で、この前、やっと、最高裁は患者と認め、司法によって救済する道を開いた。
国の厳しい基準が狭めていた認定の幅を事実上広げる判断ともなった。
熊本県が水俣病の患者と認定しなかったのは不当として、熊本県水俣市の女性の遺族が処分の取り消しと認定義務付けを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(寺田逸郎裁判長)は16日、県側の上告を棄却した。女性を水俣病と認定するよう命じた2審福岡高裁判決が確定した。最高裁の認定は初めてである。
↓↓水俣病未認定患者の遺族が認定を求めた訴訟の上告審判決で勝訴し、万歳して喜ぶ原告の
溝口秋生さん=16日午後、最高裁前
しかし、今後どれだけの救済につながるかはまだ分からない。裁判には時間がかかるからだ。患者は高齢化。亡くなった人も多い。国は認定基準の緩和も含め、できる限りの手だてを速やかに、国は講じるべきだ。
病気発生が公式確認された1956年から半世紀以上。「患者本位」をなおざりにした国と企業の対応が被害者を増やし、救済を遅らせた。国家のこの責任はあまりにも重い。
水俣病をめぐる象徴的な出来事がある。59年、チッソと水俣病患者互助会が取り交わした「見舞金契約」だ。
■子供のいのち年間 三万円 ■大人のいのち年間 十万円 ■死者のいのち 三十万円 ■葬祭料 二万円
患者に寄り添った作家石牟礼道子さんは、「天地に恥ずべき」内容をそのように要約して批判している。