1946年
ベトナムのホーチミン パリへ行き、独立交渉を行ないます。この交渉はハノイ協定を結び、ベトナムの独立が認められる寸前までいきましたが、フランスがベトナムから新仏政権を樹立させるのを知らされ、決裂してしまいます。その後、ベトナムはフランスに対し徹底抗戦を行います。仏越戦争(第一次インドシナ戦争)です。ベトナムはゲリラ戦(大規模な会戦を避けて、小部隊で待ち伏せして敵を攪乱させる戦法)で抵抗し、密林での地の利もありフランス軍に打撃を与えます。インドネシアではスカルノがオランダからの独立を宣言し、戦争を始めます。彼の第3夫人はデヴィ夫人です。
北朝鮮では北朝鮮臨時人民委員会が開かれ、金日成が委員長になり、朝鮮共産党を結成します。
1947年
インドではヒンズー教徒とイスラム教徒の対立が激化します。暴動がひどく、イギリスもついに統治をあきらめ、300年に渡るイギリス支配は終りました。そして、ガンジーが調停を行い、イギリス国王を国家元首に頂く独立君主制国家パキスタンが建国されます。また、インドも独立し、ネルーが初代首相になります。ガンジーはその後も宗教融和を説いたのですが、ついにふたつの国はまとまることはありませんでした。1948年
ガンジー死去。1949年
蒋介石率いる国民党、中国の内戦で共産党に敗北し、台湾へ逃亡します。そこで中華人民共和国を建国します。ベトナムでは第一次インドシナ戦争最大の戦いであるディエンビンフーの戦いが起ります。フランスは米国ニクソン大統領の援助の元、盆地に大要塞を築きます。対するベトナムは中国の援助のもと、この要塞を包囲します。そして、ついには陥落させてしまうのです。ベトナムの勝利でした。
1952年
アメリカでアイゼンハワーが大統領に就任します。そして人類初の水爆実験が行われます。ここで豆知識。原子爆弾は核分裂のエネルギーを使用し、水素爆弾は核融合のエネルギーを破壊に利用します。水素爆弾は、実際は水素ではなく、重水素や三重水素といった水素の同位体を用いるので名前は不正確です。水風船みたいなイメージありますしね。これに驚いたのがソ連のスターリンです。腹心のニキータ・フルシチョフも回想録で、アメリカが怖かったといっています。
1953年
ソ連 スターリン死去。53歳でした。100万人を処刑し、2000万人を集団農場や強制収容所で殺してきた男の最後は、脳卒中でした。しかも、発作が起きていたのに、警備員は彼が寝ていると思い、起こして機嫌を損ねるのを恐れたため、回復ができなかったそうです。暗殺を恐れたスターリンでしたが、死期を早めてしまったのは自分自身の猜疑心だったのかもしれません。1955年
インドネシアでバンドン会議が開かれます。正式名称は第一回アジア・アフリカ会議です。ただこれ、まだ第二回は行われてません。ここで、アメリカやイギリスみたいな帝国の支配にならない、植民地にならない、民族自決の精神を養いましょうというのを議論しました。ジュネーブ首脳会談
アメリカは、アイゼンハワー大統領と、ダレス国務長官。ソ連はブルガーニン首相とフルシチョフ第一書記。このときフルシチョフは、アイゼンハワーを、「ダレスがいなければ何もできない大統領」と見抜いていました。ここで、核兵器は戦争の抑止力として所持するということが提言されました。フルシチョフはその後、スターリン批判を行い、スターリンの行ってきた恐怖政治を暴露していきます。
その頃ハンガリーではソ連の元共産主義国のハンガリー人民共和国でしたが、ソ連への反発から首都ブタペストで動乱がおきました。これは鎮圧されます。