豪雨災害後、初の訓練 那智勝浦・市野々 和歌山
2014.6.2 02:05
■150人避難ルート確認
平成23年の紀伊半島豪雨で土石流が発生し大きな被害が出た那智勝浦町市野々地区で1日、豪雨災害後初めてとなる土砂災害を想定した避難訓練が行われ、自主防災組織メンバーや地区の住民ら約150人が避難ルートなどを確認した。
豪雨災害から3年を迎えるにあたり、雨量が増える時期を前に防災意識を高めてもらおうと、6月の土砂災害防止月間に合わせて計画。活発な梅雨前線により大雨警報が発表され、24時間雨量が200ミリを超える-との想定で実施された。
この日は午前9時に町から市野々地区に避難準備情報が発令されると、自主防災組織のメンバーや消防団員らが高齢者ら支援が必要な住民宅に駆けつけ、避難所となった町立市野々小の体育館へ誘導。
約30分後に町の災害対策本部から避難勧告が発令されると、防災行政無線からは「重大な被害の恐れがあるので、できるだけ安全な場所へ避難してください」との放送が繰り返し流れた。放送を聞いた地区住民らは、リュックサックを背負い、子供の手を引きながら次々と小学校に集まっていた。
訓練後、寺本真一町長は「災害時には、住民の『自助』の意識が大事になる。土砂災害のハザードマップも活用しながら普段から防災意識を高めてほしい」と住民らに呼びかけた。訓練に参加した会社員、小口毅さん(38)は「小さい子供が2人いて災害時には慌てるかもしれないが、焦らず避難したい」と話していた。
「大津浪記念碑」 町有形文化財に指定 和歌山・那智勝浦町
2014.5.29 02:00
■昭和19年 東南海地震 被害の教訓、後世に
太平洋戦争末期の昭和19年12月7日に発生した東南海地震(マグニチュード7・9)の津波被害を伝える那智勝浦町の「大津浪記念碑」(同町天満)が、町有形文化財に指定された。津波被害を伝える碑は県内に約60カ所あるが、文化財に指定されるのは珍しく、町教委は「教訓を後世に伝え、指定を機に災害のことを改めて考えてほしい」としている。
町教委によると、同19年の東南海地震では、犠牲者は天満を含んだ旧那智町で10人、旧勝浦町で23人となり、被災者は約5700人を超えた。津波は、現在の国道42号(海抜約5メートル)を越えた場所もあったという。
記念碑は被害の教訓を伝えようと、天満地区が同25年にJR紀伊天満駅の前にある天神社(海抜5・4メートル)の境内に建立された。石碑の高さは約3メートルあり、石の前面には「大津浪記念之碑」とあり、裏面には当時の被害状況などが詳細に刻まれている。
県内には、過去の地震による津波被害を伝える石碑などが数多く残る。県立博物館は平成23年の紀伊半島豪雨をきっかけに調査を行い、宝永4(1707)年の宝永地震、安政元(1854)年の安政南海地震など約60カ所、明治22年に紀伊半島で発生した水害や昭和28年に紀中を中心に大きな被害が出た「紀州大水害」などの被害を伝える碑も約60カ所あるという。
広川町の「広村堤防」は、安政南海地震を受けて「稲むらの火」で知られる浜口梧陵が私財を投じて築いたもので、国史跡に。湯浅町の深專寺にある「大地震津波心得之記碑」は県指定文化財となっている。
調査を行った同博物館の前田正明・主任学芸員は「文化財に指定されることで、忘れがちな災害の記憶をみんなのものとして残すことができる。石碑を残してまで後世に伝えたかった昔の人々の思いを知ることが大事」と話していた。
那智勝浦町教委は、今回の津波の石碑のほかに、町天然記念物として、周辺の地層と成り立ちが異なる「大勝浦の泥ダイアピル岩体」、岩脈の様子を観察できる「宇久井の火砕岩岩脈」の2カ所を指定。これらの文化財は、紀南地域の珍しい地形などを使って地域の歴史などを学ぶ「南紀熊野ジオパーク」のみどころ「ジオサイト」として活用されるという。
和歌山)アジサイ2500株が見頃 熊野那智大社
2014年6月12日
熊野那智大社(那智勝浦町)のアジサイが、見頃を迎えている。広さ約150平方メートルのアジサイ園や参道で、ガクアジサイ、ヤマアジサイ、タマアジサイなどの約2500株が、淡い赤や青などの大輪を咲かせている。普段は園内には入れないが、14日から今月末まで一般開放される。
同大社の拝殿では梅雨時の無病息災を願って、14日午前9時から巫女(みこ)たちが「豊栄の舞」を舞う「紫陽花(あじさい)祭」が行われる。
今年、巫女になったという西山千遥さん(18)は「こんなにきれいなアジサイはあまり見かけません。梅雨時はとくにきれいです」と話していた。(杉山敏夫)
「熊野古道・大辺路街道」の魅力や課題 刈り開き隊副代表の神保さん講演
南紀国際交流協会の会員に熊野古道大辺路について話す神保圭志さん(和歌山県串本町串本で) |
南紀国際交流協会はこのほど、和歌山県串本町串本の町文化センターで総会を開いた。総会後の記念講演では、熊野古道大辺路刈り開き隊副代表の神保圭志さんが「熊野古道・大辺路街道について」と題して話した。
総会後の記念講演は恒例で、ことしは地域をもっとよく知ることが外国から来る人に地域を紹介する上で大事という観点から、県世界遺産マスターや町文化財保護審議委員会委員なども務める神保さんを講師に招いた。
総会後の記念講演は恒例で、ことしは地域をもっとよく知ることが外国から来る人に地域を紹介する上で大事という観点から、県世界遺産マスターや町文化財保護審議委員会委員なども務める神保さんを講師に招いた。
神保さんは熊野古道大辺路について、町内の古地図や古文書の一節などを用いながら紹介。大辺路に古道は残っていないのではないかといわれる理由として、浜伝いの道が多く、鉄道や自動車道に置き換わったことを挙げた。現在、浜の道は残っていないが「平見越え」のルートには古道が残っている所もあるという。
大辺路は田辺市から海岸部を通り那智勝浦町に至るルートで、このうち世界遺産への登録は約10キロ。串本町内は登録されていない。
串本町を通る大辺路の特徴について、石畳や石段も残り、石碑や石仏が多いことや、町屋の残る町並みがあること、長沢芦雪ら文人墨客の足跡があることなどを挙げた。中辺路にまねできない点は、ウバメガシなどの自然豊かな照葉樹林や海岸景観が美しいことだとし「中辺路のように上皇、公家が通った道ではないが、負けないほど多くの魅力にあふれている」と強調した。
古道の維持管理や顕彰、活用を大辺路刈り開き隊が中心に行っているが、メンバーが高齢化しており、これからどう守っていくかが課題だという。大辺路でまだ世界遺産に登録されていない所の追加登録を目指す動きがあることや、南紀熊野ジオパーク構想と世界ジオパークへの登録を目指していることなども話した。
大辺路を歩く外国人観光客は少ないが、世界遺産への追加登録や世界ジオパークへの登録がされると外国人も増え、南紀国際交流協会の役割も大事になってくると思うとし、国際化への対応、受け入れ態勢の準備をすることを勧めた。
自分たちの活動について「究極の目的は地域活性化。世界遺産は文化財の維持の意味があるが、ジオパークは観光活用で地域を活性化しようというのが目的。そのためには、串本は課題として風情、自然、景観、文化の保全をしないといけない」と締めくくった。
■会長に西畑さん再選
総会では、7月にトルコ姉妹都市青少年団が来町する際の歓迎レセプションへの参加、11月に開かれる町展での活動の紹介や研究発表、来年1~3月の一般成人を対象とした英会話講座の実施などの本年度事業計画を決めた。役員改選では会長に西畑栄治さん、副会長に丸石敏清さんと向井和美さんが再選された。
(2014年06月10日更新)
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