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ゲゲゲの鬼太郎

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 『ゲゲゲの鬼太郎』(ゲゲゲのきたろう)は、水木しげるによる日本漫画作品。また、それを原作とした一連の作品群の総称。主人公の幽霊族の少年鬼太郎妖怪達と繰りひろげる物語である。
 題名の由来は、作者が幼い頃に自分の名前を「しげる」と言えずに「ゲゲル」「ゲゲ」と言ったことから着想し、もう一つゲをつけたことによる。
ゲゲゲの鬼太郎の着ぐるみ
 
 多種多様な妖怪が登場する妖怪漫画。アニメ化に伴い『墓場の鬼太郎』から改題された。水木しげるの代表作であり、妖怪を扱った作品としても代表的な作品。1954年の紙芝居から始まり、漫画、アニメ、映画、絵物語、ドラマ、ゲームなど、半世紀以上に渡り様々な関連作品が作られている。
 漫画作品は貸本を経て1965年から1997年の間に多くのシリーズが描かれ、幼年誌から青年誌まで幅広く掲載された。初期の作品は怪奇色が強かったが、鬼太郎と妖怪の対決を主とした内容へ変化。妖怪ブームを巻き起こしたテレビアニメは、日本のテレビアニメ史上最多となるシリーズ5作、4回のリバイバルを果たす。
 単行本はこれまで幾度も出版されているが、全作品を網羅したものは存在せず、出版社ごとに収録状況が異なっている。
 1996年、「『ゲゲゲの鬼太郎』他一連の妖怪漫画」が第25回日本漫画家協会賞・文部大臣賞を受賞。
 
 
妖怪(ようかい)は、日本伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的な存在のこと。(あやかし)または物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれる。
 
 
 
 
 
 
 日本の集落家屋にみられる、自然との境界の曖昧さによる畏怖や、里山鎮守の森のように自然と共にある生活が畏敬や感謝になり、当時では解明できない自然現象・物や人に対しての畏怖など妖怪は、これらの怖れや禍福をもたらす存在として具現化されたものである。
 「神さび」という言葉に代表されるように、古いものや老いたものは、それだけで神聖であり神々しいとされてきた価値観も、妖怪(九十九神)が古い物や長く生きた物の憑き物という解釈と重なる。
 そして、現在では妖怪の存在の実証はされておらず、科学が未発達だった時代の呪術的思考の産物や迷信とされるが、日本人の心や思考のあり方を表す一つの事柄でもある。
 
 

民間信仰

 民間信仰(みんかんしんこう)とは、国家の管理を受けず、組織化されていない、日常生活の一部として行われる、民衆主体の宗教運動。民俗信仰民俗宗教ともいう。
 
 人の生病老死、魂や霊魂、出産、成長、育児、結婚、葬送にまつわる宗教的な習俗慣習迷信呪術などを総称したもの。地域社会や集団に属する人の人生、(哲学や観念論でいわれる)死生観運命観から生まれた、(文化人類学における)死生観や運命観に起因する信仰。その動機から行われる、儀式祭りお供え祈祷占いなどの行為。
 
 教義教則経典教本は(ほとんど若しくは全く)無く、教団教祖宗派といわれる確固たる宗教集団を持たない。文化人類学では原始宗教といわれ、宗教学という枠組みでは宗教とは別途に論じられる場合が多い。
 主に、アニミズム(見えざる霊魂・命が森羅万象に宿ると信じ尊ぶ自然崇拝)とシャーマニズム(運命観にともなう「未来に託す思い」からの祈祷と占い)を発端とする。
 キリスト教圏のハロウィンのように、神話から生まれ、既存宗教と結びついて宗教行事化するものもある。日本では古神道習合した仏教行事とされるお盆や、古神道からある祈祷占いを簡略化したおみくじなどがこれにあたる。
 形骸化したものを含め、歴史的に継がれたものは、民間伝承(民俗伝承、民族伝承)や、単に伝承と呼ばれる。神話を含めた口承などは民間説話ともいう。
 
 

物の怪

 物の怪(もののけ)は、日本古典民間信仰において、人間憑いて苦しめたり、病気にさせたり、死に至らせたりするといわれる怨霊死霊生霊などのこと。妖怪変化(へんげ)などを指すこともある。
 
 
葛飾北斎画『北斎漫画』より「葵上」の題で描かれた六条御息所
 
 物の怪の話は平安時代の文献に多く見られる。有名なものとしては『源氏物語』の第9帖「」で、葵の上に取り憑いた六条御息所の生霊が挙げられる。そのほか、『大鏡』『増鏡』などにも物の怪の記述が見られる。
 医学知識の未発達だった当時は、物の怪による人間の病気に対し、僧侶修験者が加持祈祷を行い、物の怪を「よりまし」と呼ばれる別の者(主に女中、小童など)に一時的に乗り移らせることで、物の怪を調伏して病気を平癒されるといったことが行われていた。この様子は『枕草子』や『紫式部日記』などに詳しく述べられている。また『続日本後紀』によれば、皇居内の物の怪に対し、60人もの僧侶が経を唱えたとある。
 
 
日本の「物の怪」は中国の「物怪」が日本に伝わったものであり、古代中国の文献としては『史記』や『原鬼』に「物怪」の記述がある。後者には「声と形と無きものは鬼神是也。形と声と有る能わず、形と声と無き能わざる者、是物怪也」とあるように、当時の中国では「物怪」は形も声もなく、見ることも聞くこともできない妖怪の類とされており、当時の知識で理解できない自然現象などを起こすものと考えられていた[6]
『稲亭物怪録』より「物怪帰去の事」
 
 日本の文献上における初見は平安時代の『日本後紀』とされており、同時代の『日本紀略』での同書の引用によれば、天長7年(830年)閏12月の条の記述として「僧五口を請じ金剛般若経を読み奉る。兼ねて神祗官をして解除せしむ。物恠を謝するなり」とあり、同年8月壬申、同10年5月の条にも物の怪の記述がある。
 当時の古語では「もの」は精霊荒魂(あらみたま)など、もしくは明確な実体を伴わない感覚的な存在のことを指しており、『大宝令』で疫病のことを「時気(ときのけ)』と書いているように「け」とは病気のことを指していたことから、「もののけ」とは「もの」によって生じる病気のことを指していたものと見られている。『枕草子』にも、病気の種類として「胸のけ」「脚のけ」「もののけ」の名が挙げられている。
 「物の怪」の思想の下地として、平安初期の頃より日本では、様々な社会不安や病気を怨霊の祟りとする考えが生まれていた。延暦年間には相次ぐ皇族の病死や疫病の流行が早良親王祟りといわれたことを始め、文献上では『日本現報善悪霊異記』に長屋王の怨念が多くの人々の死を招いたという説話があり、『続日本紀』に藤原広嗣怨霊の記述がある。
 
 
 

端境

丑の刻参り」『北斎漫画』:葛飾北斎
 
 古神道においては、神奈備(かんなび)という「神が鎮座する」山や森があり、この神奈備が磐座(いわくら)・磐境(いわさか)や神籬(ひもろぎ)に繋がっていった。
 これら鎮守の森や神木霊峰夫婦岩神域や神体であると共に、「現世」と「常夜・常世」の端境と考えられ、魔や禍が簡単に往来できない、若しくは人が神隠しに遭わないよう結界として、注連縄(しめなわ)やが設けられている。
 逢魔刻(大禍刻)や丑三つ刻だけでなく、丑の刻参りという呪術があり、古くは神木神体)に釘を打ち付け、自身が鬼となって恨む相手に復讐するというものである。丑の刻(深夜)に神木に釘を打って結界を破り、常夜(夜だけの神の国)から、禍をもたらす神(魔や妖怪)を呼び出し、神懸りとなって恨む相手を祟ると考えられていた。
「逢魔時」『今昔画図続百鬼』:鳥山石燕
 
 これらに共通するのは「場の様相」(環境状況)が転移する(変わる)空間時間を表していて、夕方明け方は、という様相が移り変わる端境の時刻であり、昼間はどんな賑やかな場所や開けた場所であっても、深夜には「草木も眠る丑三つ時」といわれるように、一切の活動がなくなり、漆黒の闇とともに、「時間が止まり、空間が閉ざされた」ように感じるからである。
 また神奈備などの自然環境の変化する端境の場所だけでなく、、集落の境など人の手の加わった土地である「道」の状態が変化する場所も、異界(神域)との端境と考えられ、魔や禍に見舞われないように、地蔵道祖神を設けて結界とした。
 

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