題名の由来は、作者が幼い頃に自分の名前を「しげる」と言えずに「ゲゲル」「ゲゲ」と言ったことから着想し、もう一つゲをつけたことによる。
ゲゲゲの鬼太郎の着ぐるみ
多種多様な妖怪が登場する妖怪漫画。アニメ化に伴い『墓場の鬼太郎』から改題された。水木しげるの代表作であり、妖怪を扱った作品としても代表的な作品。1954年の紙芝居から始まり、漫画、アニメ、映画、絵物語、ドラマ、ゲームなど、半世紀以上に渡り様々な関連作品が作られている。
漫画作品は貸本を経て1965年から1997年の間に多くのシリーズが描かれ、幼年誌から青年誌まで幅広く掲載された。初期の作品は怪奇色が強かったが、鬼太郎と妖怪の対決を主とした内容へ変化。妖怪ブームを巻き起こしたテレビアニメは、日本のテレビアニメ史上最多となるシリーズ5作、4回のリバイバルを果たす。
単行本はこれまで幾度も出版されているが、全作品を網羅したものは存在せず、出版社ごとに収録状況が異なっている。
妖怪(ようかい)は、日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的な存在のこと。妖(あやかし)または物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれる。
日本の集落や家屋にみられる、自然との境界の曖昧さによる畏怖や、里山や鎮守の森のように自然と共にある生活が畏敬や感謝になり、当時では解明できない自然現象・物や人に対しての畏怖など妖怪は、これらの怖れや禍福をもたらす存在として具現化されたものである。
人の生病老死、魂や霊魂、出産、成長、育児、結婚、葬送にまつわる宗教的な習俗、慣習、迷信、呪術などを総称したもの。地域社会や集団に属する人の人生、(哲学や観念論でいわれる)死生観や運命観から生まれた、(文化人類学における)死生観や運命観に起因する信仰。その動機から行われる、儀式・祭り・お供え・祈祷・占いなどの行為。
キリスト教圏のハロウィンのように、神話から生まれ、既存宗教と結びついて宗教行事化するものもある。日本では古神道と習合した仏教行事とされるお盆や、古神道からある祈祷と占いを簡略化したおみくじなどがこれにあたる。
物の怪
医学知識の未発達だった当時は、物の怪による人間の病気に対し、僧侶や修験者が加持祈祷を行い、物の怪を「よりまし」と呼ばれる別の者(主に女中、小童など)に一時的に乗り移らせることで、物の怪を調伏して病気を平癒されるといったことが行われていた。この様子は『枕草子』や『紫式部日記』などに詳しく述べられている。また『続日本後紀』によれば、皇居内の物の怪に対し、60人もの僧侶が経を唱えたとある。
日本の「物の怪」は中国の「物怪」が日本に伝わったものであり、古代中国の文献としては『史記』や『原鬼』に「物怪」の記述がある。後者には「声と形と無きものは鬼神是也。形と声と有る能わず、形と声と無き能わざる者、是物怪也」とあるように、当時の中国では「物怪」は形も声もなく、見ることも聞くこともできない妖怪の類とされており、当時の知識で理解できない自然現象などを起こすものと考えられていた[6]。
日本の文献上における初見は平安時代の『日本後紀』とされており、同時代の『日本紀略』での同書の引用によれば、天長7年(830年)閏12月の条の記述として「僧五口を請じ金剛般若経を読み奉る。兼ねて神祗官をして解除せしむ。物恠を謝するなり」とあり、同年8月壬申、同10年5月の条にも物の怪の記述がある。
当時の古語では「もの」は鬼、精霊、荒魂(あらみたま)など、もしくは明確な実体を伴わない感覚的な存在のことを指しており、『大宝令』で疫病のことを「時気(ときのけ)』と書いているように「け」とは病気のことを指していたことから、「もののけ」とは「もの」によって生じる病気のことを指していたものと見られている。『枕草子』にも、病気の種類として「胸のけ」「脚のけ」「もののけ」の名が挙げられている。
「物の怪」の思想の下地として、平安初期の頃より日本では、様々な社会不安や病気を怨霊の祟りとする考えが生まれていた。延暦年間には相次ぐ皇族の病死や疫病の流行が早良親王の祟りといわれたことを始め、文献上では『日本現報善悪霊異記』に長屋王の怨念が多くの人々の死を招いたという説話があり、『続日本紀』に藤原広嗣の怨霊の記述がある。
端境
これら鎮守の森や神木や霊峰や夫婦岩は神域や神体であると共に、「現世」と「常夜・常世」の端境と考えられ、魔や禍が簡単に往来できない、若しくは人が神隠しに遭わないよう結界として、注連縄(しめなわ)や祠が設けられている。
逢魔刻(大禍刻)や丑三つ刻だけでなく、丑の刻参りという呪術があり、古くは神木(神体)に釘を打ち付け、自身が鬼となって恨む相手に復讐するというものである。丑の刻(深夜)に神木に釘を打って結界を破り、常夜(夜だけの神の国)から、禍をもたらす神(魔や妖怪)を呼び出し、神懸りとなって恨む相手を祟ると考えられていた。

「逢魔時」『今昔画図続百鬼』:鳥山石燕