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《登呂遺跡の名はトロイヤ人の居住記録》
加治木義博
大学院講義録35:10
その伊豆半島の西の対岸にある
静岡市の、
JR静岡駅の南2キロほどの一帯に
弥生時代の広大な特別史跡・
登呂遺跡(約160平方キロ)がある。
その地名は
トロイ戦争という名で知られてきた
ギリシャ史に名高い国名と
同じ地名なのである。
トロイというのは英語読みの略称で、
正しくはトロイヤだったのであり、
語尾のイヤはギリシャ語の
「国・地域」という名詞だから、
本来の国名は「トロ」だからである。
取手市だけがギリシャ人の遺跡ではない。
その登呂遺跡の東北に隣接して
清水市の草薙がある。
ここは
倭建命の革薙の剣伝承で
有名な地名である。
倭建命の物語は
トロイ戦争最大のヒーロー=
アキレウスの物語と
多くの共通点をもっているから、
ここへ
ギリシャ系の海人が住んだことは
間違いない。
そして
彼等は倭建命の伝承通りに
房総半島を北上している。
『日本書紀』は
日本武尊=倭建命が
相模から上総へ行こうと船出して
「馳(はし)り水」という海域で
暴風に遭い、
后の弟橘姫が投身して暴風を鎮め、
命たちを救ったという一節がある。
これらを
一人の武尊の歴史だとするのは
無理だが、
こうした伝承を生んだ
史実があったことは、
これらの地名や遺跡の分布からみて、
間違いなく真実だったと
認めるしかない。
『日本書紀』は
多くの伝承を混合して
一事跡としている例が少なくないが、
個々の伝承は
事実の記録だからである。
M.K記(責)
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