登呂遺跡
概要
遺跡は、戦時中の1943年(昭和18年)、軍事工場建設の際発見された。戦後間もない1947年(昭和22年)には考古学・人類学・地質学など各分野の学者が加わった日本で初めての総合的な発掘調査が行われ、8万平方メートルを超える水田跡や井戸の跡、竪穴式住居(正確には竪穴系平地式住居)・高床式倉庫の遺構が検出された。この他にも、農耕や狩猟、漁労のための木製道具や火起こしの道具、占いに用いた骨などが出土した。 また、1999年(平成11年)から5カ年計画で再発掘調査が行われ、新たに銅釧や漆が塗られた槽づくりの琴、祭殿跡などが出土している。
現在遺跡は、登呂公園として整備され、住居などが復元されているほか、遺跡についての資料がある静岡市立登呂博物館が隣接して建てられている。
村
登呂遺跡は、安倍川の分流の洪水時に押し流された土砂が堆積し、自然に形成された堤防の上に造られている。村は、北東から南西の方向に広がる微高地を利用して住居12棟、高床倉庫2棟が建っており、水田は、その南につくられている。